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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)4519号 判決 1970年2月27日

原告(選定当事者)

天野茂美

代理人

伊達秋雄

松本一郎

被告

代表者

小林武治

指定代理人

森脇郁美

外四名

主文

被告は、原告に対し、金七、四三九、六一二円一三銭およびこれに対する昭和三八年二月一日以降右支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訟訴費用は、これを八分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一別紙選定者名簿記載の選定者二八二名が、いずれも山梨県南都留忍野村忍草区の住民であることは当事者間に争いがなく、<証拠>を綜合すれば、別紙選定者名簿記載の選定者二八二名が現に忍草入会組合の全組合員であること、右組合の組合員について原告主張のような変動のあつたこと、その総人員数においては昭和三五年当時と今日とでなんら変動のないこと、同組合が忍草入会組合規約によつて原告主張のような構成、目的、業務内容を定める組合であることおよび原告が忍草区長であるとともに、忍草入会組合の組合長として同組合の代表権限を有するものであることを認めることができ、右認定を左右すべき証拠はない。

二ところで、原告ら忍草入会組合員らが、かねて山梨県富士吉田市大字上吉田および同県南都留郡中野村にまたがつて存在する国有地北富士演習場のうち通称梨ケ原の部分約一、五八四、〇〇〇、〇〇〇平方メートル(一、六〇〇町歩)に、家畜飼料および堆肥に供するための野草採草の入会慣行が存することを主張し、被告に対して、アメリカ合衆国軍隊の同演習場使用により、同地から野草を採草できないことによる損失の補償を求めてきたことは当事者間に争いがないところ、原告は右野草の損失補償について、被告との間に契約が締結されたと主張し、被告は右契約の成立を争うので、まず、この点を判断する。

藤本局長(横浜防衛施設局長)が、被告の支出負担行為担当官であり、原告主張の野草の損失補償について契約を締結する権限を有すること、「補償基準」(昭和三六年調達規第三七号)による野草損失補償金額算定方式の大綱が原告主張のとおりであること、藤本局長と忍野村忍草区長天野茂美(原告)との間に原告主張の内容による合意が成立し、同局長が原告に対しAの書面を作成交付したこと、鈴木部長(防衛施設庁施設部長)および深山部長(横浜防衛施設局施設部長)がそれぞれ原告主張の日にCの書面およびDの書面を作成し、これを原告に交付したことは、いずれも当事者間に争いがなく、そして、<証拠>を綜合すると、つぎの事実を認めることができる。

原告はかねてから、前記野草の損失補償を適正合理的に実施してほしい旨を国に対し強く要望してきたところ、昭和三五年八月九日、当時の防衛庁長官江崎真澄は忍草区長に対し、回答書をもつて、「政府は昭和三五年年八月九日付御要望の趣旨を諒とし、早急に最大の努力を払うと共に、貴区が従来有して来た入会慣行を十分尊重し誠意を以つて善処します。部落民各位には平静のうちに事態を解決されるよう切に要望いたします。」との意思を表示し、また、昭和三六年九月一二日、当時の防衛庁長官藤枝泉介は、忍草区長に対し、覚書をもつて、「政府は忍草区長に対する昭和三五年八月九日付回答書の主旨に従い、次の事項を確認する。よつて、貴区は政府の意のあるところを諒とし、現在の事態を早急に収拾されるよう要望する。記 一、政府は貴区民が旧来の慣習に基づき、梨ケ原入会地に立入り使用収益して来た慣習を確認するとともに、この慣習を将来にわたつて尊重する。二、政府は北富士演習場の早期返還に引続き最大の努力を払う。三、政府はすみやかに現行の林野雑産物補償に関する問題点を再検討し、その適正化をはかる。」との意思を表示したこと、そこで昭和三六年九月ごろ以降原告ほかの忍草入会組合員らは、右の補償問題を取り扱う国の機関である調達庁(後に防衛施設庁と変更、以下「防衛施設庁」という。)に対し、至急右の補償問題の適正化を実施してほしい旨を要求し、忍草入会組合側は当初一一項目について適正化を求めて横浜調達局長(後に横浜防衛施設局長と変更、以下「横浜防衛施設局長」という。)を中心とする被告側と折衝し、百回をこえる交渉が行なわれたところ、右の項目は次第にしぼられ、稲わら購入地の件、採取地の件、補償率の件の三点となつたこと、その間昭和三五年度分の野草および粗朶に対する損失補償金について、内金でもよいから年内に支払つてほしい旨原告ほか忍草入会組合員らから要求があつたので、この点について協議が行なわれた結果、被告側は、適正化についてはまだ協議中の段階であるから、一応従前の数値に基づいて計算した額を支払う旨を述べ、原告ほか忍草入会組合員もこれを了承したので、忍草入会組合長である原告は、当時の横浜調達局不動産部長長坂強との間に昭和三六年一二月二七日付で別紙Eの内容の契約書を作成したうえ、翌日、右契約書記載の金員一三、八四七、四三五円が支払われたのであるが、その後も引つづき右契約書四条の約定による適正化の協議が続けられたこと、しかし、忍草入会組合側の主張する適正化案と被告の主張する適正化案とは、「適正化」という言葉のうえでは同じであつてもその内容は数点について大きく喰違つており、双方とも容易に合意点を見出すことができなかつたこと、ところが昭和三七年一二月一九日から翌二〇日にかけて徹夜で交渉が行なわれ、その際忍草入会組合側からは、野草の分析あるいは稲わらの分析等の数値を基に澱粉価あるいは堆肥の歩留まりについての強い主張(野草の澱粉価についての忍草入会組合側からの主張は、牛馬の飼料として使う場合、わらと野草とを比較すると野草の栄養価の方がきわめて高いにもかかわらず、被告側では損失となる野草の量の栄養価に均衡する栄養価を得ることのできる量の稲わらを補償しないで、それよりも少ない量の稲わらを補償しようとしているだけであるというのであり、また、堆肥の歩留まりについての忍草入会組合側の主張は、堆肥は稲わら一貫目(3.75キログラム)について1.5貫目(5.625キログラム)できるが、国立試験場等の行なつた調査によると、草は一貫目(3.75キログラム)について0.6貫(2.25キログラム)できるにかかわらず、被告側では、0.4貫(1.5キログラム)できるだけであるというのであつた。)をしたが、これに対し被告側は、忍草入会組合側の右主張は、基地全体に関連のある問題で影響が甚大であるからやめてもらいたいと述べてこれを了承せず、他方、被告側は、稲わらの運送方式について代表的運送会社である日通の取扱いで、トラックによる運送と貨車による運送とを組み合わせて行なう方式を主張したが、これに対し、忍草入会組合側は、トラックだけによる運送方式を主張するなど、双方の話合いはたやすく妥結をみるにいたらないまま決裂の一歩手前の状態になつたところ、忍草入会組合側は、取決めが遅延すると組合員の生活が困難となることでもあり、被告側の主張がきわめて強硬であつて譲歩を期待できない情勢であつたうえ、かねて双方の交渉に関与し、調整、あつ旋を試みていた天野重知も、同組合の幹部に対し、被告側としては、たとえ同組合側の右主張が正当であつても、いまさら、従来からの被告側の主張が誤りであつたとはいえない立場にあるのだから、運送方式、すなわち補償金の一部を構成する運賃の点で含みをもたせようではないかと説得に努めたので、同組合側も、結局、不本意ながら右の澱粉価あるいは堆肥の歩留まりについての主張をこの際は留保するとともに、運送方式についても被告側の主張を承認し、その余の点は原則として従来の例に従うことで双方の主張は了解点に達し、ようやく原告主張のような内容による合意(以下「本件合意」という。)が忍草入会組合長であり、忍草区長でもある原告と藤本局長との間に成立したこと、そこで、双方において文案を検討したうえ、まず、昭和三七年一二月二〇日付でAの文書が作成され、ついで一部補正して同月二一日付でBの文書が作成されたこと、忍草入会組合側の問合せに対し、同月二二日付書面で横浜防衛施設局施設部施設補償第二課林野特産物補償第二係長南雲彬(以下「南雲係長」という。)が、「依存戸数二八二戸の大家畜有無別内訳は、有畜農家二〇二戸、無畜農家八〇戸、平年の採草量二九〇万貫とあるのは概数で被告側としては2.904.800貫として取り扱つている、日本通運株式会社取扱運賃とあるのは、谷村、函南両駅までの同社による集荷料金(トラック代金等)をも含む、飼料用青草の稲わら換算方式は

、すなわち野草一貫は稲わら0.453086貫に換算する」旨を回答したこと、そして、忍草入会組合側も、被告側も、この時点においては、本件合意をもつて、昭和三五年度分の野草損失補償の適正化についての協議は終つたものと考え、本件合意にかかる事項と数値によつて算定される金額が昭和三五年度分野草損失補償金の全額であると了解していたこと、もつとも、「運賃」については、Bの書面には「日本通運株式会社扱の運賃とする(静岡県田方地区については集荷地を函南とし、山梨県東西桂地区については集荷地を谷村とする。)」と記載され、また、Bの書面には「日本通運株式会社取扱運賃とは下記の運送方法による運賃である。記 イ、谷村地区 谷村→貨車吉田→トラック忍草、ロ、田方地区a函南→御殿場間

国鉄貨物輸送、b御殿場  忍草間 自動車運送」と記載されているだけであるが、これらの記載は、運賃の算定はすべて第三者たる日通が適正かつ合理的に算定した価格によるという趣旨であつたこと、ところで、右の運賃についての合意事項の内容となつている運送方式については、被告側においてもつとも安価に運送できる方式を求めるため、予じめ日通東横浜営業所あるいは東京陸運局神奈川陸運事務所等に調査に赴きその職員の意見をきいて運賃を試算し、これを右の日通営業所の係員に示したところ、それでよいとのことであつたもので、トラックだけを使用する運送方式をとつた場合の運賃よりも右合意にかかる運送方式による運賃の方が明らかに安価と認められたため、被告側としては右合意事項の内容となつている貨車とトラックの併用による運送方式がもつとも安価な運送の方式であると確信していたのであるが、しかし、そのようなことは、前記交渉、話合いの場においては、忍草入会組合側にひとことももらさなかつた、他方、同組合側においては、かねて日通沼津支店から見積書をとるなどして調査をすませて、被告側で主張するような運送方式をとるときは、組合側で主張する方法によるよりも、かえつて、その運賃は稲わら一〇万貫(三七五、〇〇〇キログラム)あたりで計算してもかなり高価になることを知つてはいたが、とくに被告側に対しこの点に触れないで、ただ被告側で主張するような運送方式によるときは、集荷したトラックから稲わらを下ろして貨車に積み、さらに貨車から下ろして配達することになるための時間がかかりすぎて不合理であるばかりでなく、雨天の際などは稲わらがぬれて困ると主張した、これに対し、被告側は、これに直接に答えることなくただ会計検査等の際、民間業者のトラックを使用して運送するのに比して国鉄の貨車を使用する方がとおりがよいと述べるにとどまつたので、忍草入会組合側でも、それでは被告側でも調査のうえ被告側主張の運送方式によれば運賃はかえつて高くつくということは知りながら会計検査等の事情で右のように強く主張するのだと思い、前記のような天野重知の説得等もあつて、被告側の右の主張を受入れることとなつたのであつて、いわば忍草入会組合側では、被告側から押しつけられたような格好で運送方式についての被告側の主張を了承したものであること、したがつて、本件合意成立の時点においては、運送方式ないしは運賃の点について本件合意後もなお交渉を続けるなどということは、双方とも全く考えていなかつたこと、また、「稲わら購入地および購入量」については、Aの書面では「北富士演習場関係の各入会組合の山梨県内購入量は、東西桂地区の二三七、七七四貫、残余は静岡県田方地区より購入するものとし、按分比をもつて算定する。」とされ、Bの書面では「谷村地区二三〇、八四八貫の按分比による数量田方地区 谷村で充足し得ない残量」と修正されたが、これは、昭和三七年一月一六日第一回目の協議の席上、忍草入会組合側から、まず右の問題をとりあげるようにという要求があり、あわせて忍草区は行政区画のうえでは山梨県に属するけれども、経済圏のうえでは静岡県に属するので、稲わらについても、山梨県谷村地区から購入するのではなく、静岡県のうち穀倉地帯である田方地区から購入することとしたい旨の強い主張がなされたが、稲わらは、谷村地区すなわち東西桂地区から購入する方が関係五つの入会組合のいずれにとつても低廉であり、したがつて昭和三五年度分野草損失補償金額の算定上、同地区から稲わらを購入する場合の同補償金額は少なくなるので、まず、被告側において、東京教育大学に委託して調査を実施したところ、谷村地区すなわち東西桂地区からは約二三七、〇〇〇貫(八八八、七五〇キログラム)程度の稲わらしか出荷販売しえない旨の報告を受けたが右の量では関係五つの入会組合の必要とする稲わら総量を完全にまかなえないため、関係五つの入会組合の野草損失総量に対する忍草入会組合の野草損失量の比率、すなわち、按分比に応じて、谷村地区から購入可能の稲わらを購入し、各入会組合のその余の不足分については、これをそれぞれ田方地区から購入することとし、とくに忍草入会組合側の申出により、その旨をAの書面に記載することとなつたこと、ところが、本件合意成立の時点においては、まだ按分比の算定は具体的にはなされておらず、また、これについての話合いも双方の間でなにもなされてはいなかつたが、双方とも、忍草入会組合の野草損失量は本件合意にかかる事項および数値によつて算出が可能であるし、また、同組合を除くその余の関係四入会組合の野草損失量も、かつての調査資料等被告側の手もとにある資料に所要の修正を加えたうえ、これを基礎として本件合意にかかる事項および数値をあてはめれば、一応その算定が可能である、のみならず、従前の交渉の経緯、内容から考えても、右関係四入会組合の野草損失量は忍草入会組合の場合に比してきわめて少ないし、また、右関係四入会組合の野草損失量算定の基礎となる事項および数値についても、これまで補償の適正化に関し理論的かつ積極的であつた忍草入会組合例にならい、確定をみるのが通例であつたので、昭和三五年度分の野草損失量についても忍草入会組合の例にならつて決定されるであろうし、仮に右の関係四入会組合が、忍草入会組合の組合の側にならうことを了承しなかつたとしても、粗朶に対する損失補償額を決定する交渉において調整を行なう余地もないわけではないというみとおしがあり、また、右関係四入会組合の野草損失量の計算については、従前から被告側に任かせてもよいとの意向でもあつたので、これらの事情をふまえたうえで、双方の間で前記の按分比等の話合いを進めたものであること、もつとも、本件合意成立当時においては、右関係四入会組合のうち上吉田、北富士の二入会組合については、まだ昭和三五年度分の野草損失補償の請求はなされておらず、また、右補償の仮払いの請求もなかつたから、関係五つの入会組合の損失野草総量の計算、したがつて、按分比の計算も正確にはなしえない状況であつたが、しかし、関係五つの入会組合のうち忍草、中野、新屋の三入会組合からは昭和三五年度の野草損補償失について仮払いの請求が被告になされており、他方、北富士、上吉田の各入会組合についても昭和三四年度の野草損失補償に関する資料が被告側の手もとにあつたから、按分比等の算定についてかなり精度の高い概算は可能であつたこと、かくして、本件合意が成立した後、横浜防衛施設局の担当官は、直ちに本件合意に基づいて作業を開始し、同月二二日、各入会組合に対する野草損失補償金額の概算を終えたので、横浜防衛施設局長が山梨県庁を訪問し、右の概算額を示して同意を求める手続きをしたが、その日は県当局の了解を得るにはいたらなかつたこと、その後、間もなく、忍草入会組合側から本件合意に基づく野草損失補償金を算定のうえ、すみやかに支払つてほしい旨の要求があつたので、被告側は前記忍草入会組合を除く関係四入会組合と協議し、あるいは被告側において調査を行なうとともに、防衛施設庁において大蔵省と折衝し、その承認を得て予算支出するまでには、なお若干の期間を要するが、その期間をみこんでも、昭和三八年一月末日までには原告ほか忍草入会組合員に対する本件合意に基づく野草損失補償金の支払いは可能であると考え、昭和三七年一二月二六日、忍草入会組合長であり、忍草区長でもある原告に対し、防衛施設庁鈴木部長が横浜防衛施設局の作業の見とおし等についても同局と連絡確認のうえ、Cの書面を作成して交付し、さらにまた、翌二七日には、横浜防衛施設局深山部長がDの書面を作成して交付したことが、それぞれ認められる。<証拠判断―略>

以上の事実によれば、かねてより忍草入会組合と横浜防衛施設局との間で昭和三五年度分の野草損失補償の適正化について話合いが進められ、約一年にわたる交渉と意見調査の結果、昭和三七年一二月二〇日に至りようやく、忍草入会組合(入会地に関する補償金の管理等を業務内容とする)の組合長として同組合の代表権限を有する原告と被告の支出負担行為担当官であり同時に補償に関する契約の締結権限を有する横浜防衛施設局長との間で、右野草損失補償金算定の基礎となるべき事項および数値について合意(本件合意)に達し、これを証するため書面(Aの書面、Bの書面)が作成されたというべきであるから、本件合意は右の当事者双方を拘束する契約であつて、被告主張のように単に交渉の結果を整理確認したにすぎないものではなく(最高裁昭和四二年一二月一二日判決 判例時報五一一号三七頁参照)、また、本件合意は、右の補償額算定の基礎となる事項および数値のすべてにわたつており、たとえ忍草入会組合の谷村地区および田方地区からの稲わら購入量(按分比)および運賃計算の基礎となる貨車の稲わら積載量等一、二の点についてはその額を具体的に確定すべき作業がなお残されていたとしても、本件合意により前記損失補償額を算定することは客観的に可能かつ容易であつて、横浜防衛施設局長らも、かく認識したればこそ部下の施設部長をして前記補償の支払期日を昭和三八年一月末日と定めた書面(Cの書面)を作成し、これを原告に交付させたものというべきであるから、本件合意ならびにそれに随伴するこれら約定により忍草入会組合の組合員らは、客観的に算定されるべき金額を右支払期日までに支払うことを内容とする昭和三五年度分野草損失補償請求権を組合財産として取得したものと解するを相当とする。

もつとも、証人………の各証言によれば、被告は、その後野草損失量を調査したうえ、前記の按分比に則り、関係五入会組合の昭和三五年度における野草損失補償金額を算定し、昭和三九年四月二三日および二四日に関係の五つの入会組合に呈示したところ、忍草入会組合を除く関係四入会組合からこれを検討のうえ妥当として同意があつたので、そのうち、新屋、北富士各入会組合に対しては昭和三九年四月三〇日ごろ、また、上吉田入会組合に対しては五月一九日ごろ、山中長池入会組合に対しては同月二五ごろに、いずれも被告において計算したところにより、昭和三五年度の野草損失補償金としてその支払いを了していることが認められるが、右の事実は、前記認定の妨げとはならない。

三そこで、被告の抗弁について判断する。

1  まず、本件合意は運賃計算方法についての取決めにつき、被告側に法律行為の要素の錯誤があつたので無効であるとの主張について、

A、Bの各書面中の運賃の計算方法すなわち運送方式についての合意がなされた経緯は前段認定のとおりであり、被告が運賃の計算方法について錯誤をおかしたことは当事間に争いがない。しかしながら、右の錯誤はいわゆる動機の錯誤にすぎず、法律行為の要素の錯誤にあたるものと認めるに足りる証拠はないから、被告の主張は失当というべきである。すなわち、前段認定の事実に<証拠>を綜合すると、つぎの事実を認めることができる。

昭和三七年一二月二〇日本件合意の当時、運賃あるいは運送方式については後日再検討をするというようなことは、忍草入会組合側も被告側も全く考慮せず、翌年一月八日天野重知らが新年の挨拶に防衛施設庁を訪問した際、雑談中に、本件合意に触れる話しが出たが、そのとき天野重知らから「実は私どもは、それ以外に補償の適正化については、澱粉価の換算方式等を要求すべきであつたのであるが、日通による運賃計算はそういうものの味を含めたような運賃であると了解している。」旨の発言があり、その場に同席していた藤田課長が右発言を聞いて、被告側が忍草入会組合側との交渉の場で主張した運賃計算方法すなわち運送方式は運賃がもつとも安価にすむ運送方式であるとの報告を受けて、これを確信していたため、表向きは国鉄を利用した方が会計検査の場合にとおりがよいという趣旨の説明をして部下ともども強硬にこの運送方式によるべきことを主張したほどであるから、そのような含みの入る余地はない、それにもかかわらず右のような発言があるところをみると、あるいは防衛施設庁の側に運賃計算についての誤りがあつたのではないかと感じとつたが、その場ではこのことを天野重知らにもらすことなく、翌日部下をして日通東京支店および運輸省自動車局通運課に赴かせて運賃計算方法等について調査研究させたところ、防衛施設庁側の運賃計算に思い違いのあつたことが発覚したこと、右の誤りというのは、稲わらの容積によつて貨車に積載されるトン数が決まるものであるのに、一五トン貨車には一五トンの稲わらが、一二トン貨車には一二トンの稲わらが積載可能であるとの誤つた前提のもとに、貨車を使用する運送方式が安価であると考えた結果によるものであること、そこで、藤田課長はその旨を横浜防衛施設局長に伝え、再調査を連絡し、同局長の命によつてその部下があらためて日通三島支店、同沼津支店、同函南営業所等を訪ねて再調査した結果、やはり本件合意にかかる運送方式には、右のような誤解があつたことが判明し、むしろトラックだけで運送した方が安価であるということが分つたので、昭和三八年一月一六日、藤田課長が天野重知に来庁を求め、本件合意にかかる運賃計算方式に誤りがあつたから訂正をしたいので、忍草入会組合側との話合いの取次ぎ、あつ旋をしてほしい旨申出をしたが、しかし、天野重知としては、本件合意は従来からのいろいろな交渉の結果決まったもので、忍草入会組合側もこれを信用している、しかもその合意の内容は、どちらかといえば被告側の主張をほとんどそのまま受け入れたものであつて、同組合側としては、補償の適正化について十分調査もし、資料もそろえて要求していたのにこれを認められず、被告側に譲歩したものである、それにもかかわらず、被告側が後になつて自己に都合の悪い点があつたというのでこれを訂正したいというのは不当であり、自分としては責任を負えないと答えたが、被告側からまことに困つたことであるので何とか話しをして貰いたい旨誠意を披れきして依頼があつたので、天野重知は、被告側の右の申出を忍草入会組合側に取り次ぐが、ついては被告側において代案を示してほしいと述べたこと、すなわち、天野重知も、単純に被告側の訂正の申入れに応じ、本件合意中運賃に関する部分を白紙にもどし、そのうえであらためて代案の検討をしようと回答したものではなく、被告側としても、忍草入会組合側との従前の交渉経過からみて、訂正が行なわれるとしてもそれは文書によつてなされなければならないだろうが、代案を示さなければ、文書による訂正を行なうことはできないから、本件合意中運賃に関する部分が簡単に白紙に戻るものではないと考えていたものであること、かくして、天野重知は、忍草入会組合の組合長である原告に対し、防衛施設庁から運賃計算方式に誤りがあつたから本件合意のその部分を訂正してほしい旨の話しがあつたと告げたところ、原告は、右の話をきいて、本件合意の当時、被告側としては、貨車を使用すれば運賃が高価になることを承知していながら、貨車を使用する運送方式を強く主張し、忍草入会組合側の主張する堆肥の歩留まりあるいは澱粉価の問題を留保させておきながら、いまになつて被告側に都合の悪い点だけを訂正したいというのは、まことに不誠実な態度であつて心外にたえないどうしても被告側が解約して訂正を求めるのであれば、忍草入会組合員の主張した澱粉価の問題あるいは堆肥の歩留まりの問題をまず受け入れ、組合員らの承知できるような代案を示してもらいたい旨答え、忍草入会組合の一、二の幹部に右の話を伝えただけで、その他の組合員らにはこれを伝えなかつたこと、その後、天野重知と、藤田課長、楯石課長らとの間で話合いが続けられた末、同年三月一二日ごろになつて、防衛施設庁から①稲わら購入地は谷村地区と韮崎地区とすること、②運賃は六トントラック五〇〇貫(一、一八七五キログラム)積み、③立入可能日数は有畜二〇日、無畜19.5日、④それ以外は本件合意のとおりとする、との案が天野重知に対し示されたが、同人はかような案は自分個人としては受け入れられないものであると述べたが、防衛施設庁としてはこれ以上の案は考えられないということであつたので、同庁が大蔵省の事前了解を取り付けたうえ金員の支払いを早く確実に行なつてくれるというのであれば、右の案を忍草入会組合側に取り次ぐ使いの役をしてみようという返事をしたこと、そこで、防衛施設庁としては急いで大蔵省と折衝したのであるが、大蔵省が了承を与えないため、天野重知に対し、金員支払いの時期、方法等についての明確な返答をすることができなくなり、したがつて、天野重知としても、右の案を忍草入会組合員の側に取り次ぐわけにもいかないこととなり、右の案は、結局、立ち消えとなつてしまつたこと、がそれぞれ認められ、前顕各証人の証言および本人尋問の結果中右認定に沿わない部分は採用せず、他に右認定を左右するに足る証拠はないから、以上の事実によれば、被告主張の錯誤は動機の錯誤にすぎず、それが相手方に表示されていたものでないことが明らかであり、その他本件全証拠を精査しても、被告主張のように要素の錯誤があつたことを認むべき証拠は見当らない。

2  つぎに、本件合意にかかる運賃計算方法についての取決めは、被告と、忍草入会組合の組合員らを代理する天野重知との間において合意解除された、仮に右の天野重知に代理権限がなかつたとしても、同組合の組合員らは、右合意解除について天野重知の意思表示を追認したものであるとの主張について

案ずるに、本件全証拠を精査しても、被告主張のような合意解除について、天野重知が忍草入会組合の組合員らから代理権を授与されていたとか、被告主張のような合意解除の意思表示をしたという事実はいずれもこれを認めるに足る証拠はなく、かえつて、<証拠>を綜合すると、天野重知は、忍草の出身で、若年のころから入会についての法律問題に興味を有し、機会あるごとにこの問題について調査、研究を行なつてきたところから忍草入会組合の顧問となり、常に同組合の理解者として、同組合の被告に対する野草損失補償の請求について種々相談にのり、交渉の場にも出席して意見を述べ、あるときは被告の申出を同組合側に伝えてその説得にあたり、またあるときは同組合側の意向を被告に伝えたりしてはあつ旋者の立場から両者間の野草損失補償問題の解決に力を注いできたが、しかし、終始独自の立場にたつて行動し発言してきたものであつて、被告側の代理人でもないし、また、忍草入会組合側から代理権を授与されたこともなく、原告その他忍草入会組合の幹部と意見が喰違うことも少なくなかつたこと、したがつて同組合側と被告側の交渉に天野重知が関与するときには、同組合幹部が在席し、また、右の交渉による取決めは必ず原告をはじめとする同組合の幹部が相談のうえ決定していたものであること、本件合意の成立にあたつても、天野重知が交渉の場において種々意見を述べることはあつたが、合意書への調印は原告がみずからこれをしたこと、被告側に対し天野重知が忍草入会組合あるいは同組合員らの代理人である旨の発言をしたことは一度もなく、また、忍草入会組合側においても、天野重知が同組合または同組合員らの代理人である旨の発言をしたことは全くないこと、被告側としては、忍草入会組合側と被告側との野草損失補償問題についての交渉では、天野重知の発言が多く、従来から天野重知が了承すれば同組合側でも了承していたので、交渉の相手は天野重知であると考えていたとしても、天野重知は、最終的発言をするとき慎重で、常に同行の原告その他忍草入会組合の幹部と相談をしたうえでこれをし、単身で被告側を訪ねたときは、一応自分としてはそれでよいと思うが、村の人たちによくきいてみる旨を述べるにとどまつていたもので、被告側の関係者も右のような天野重知の立場と態度を理解していたことがそれぞれ認められ、他に右認定を左右すべき証拠はない。したがつて、天野重知が代理権を有して本件合意を合意解除したとの被告の主張は失当であり、また、合意解除の意思表示があつたことを前提とする追認の主張もまた失当であるといわなければならない。

四さて、本件合意にかかる事項および数値に基づいて忍草入会組合の昭和三五年度における野草損失補償金額を算定すると、つぎのとおり認められる。

1  平年採草量について

①  平年採草量は二、九〇四、八〇〇貫(一〇、八九三、〇〇〇キログラム)である。

②  忍草入会組合員らの所有する馬の頭数は一九一頭、牛の頭数は五四頭である。

③  馬一頭の年間飼料量は二、八八三貫(一〇八一一、二五キログム)、牛一頭の年間飼料量は一、一一七貫(14188.75キログラム)である。

④  そうすると、飼料用野草量は2883×191+1117×54=610971貫(2291141.25キログラム)である。

⑤  したがつて、堆肥用野草量は①から④を差し引いたものであるから、

2904,800−610,971=2293,829貫(8602058.75キログラム)である。

2  昭和三五年度採草量について

①  年間採草立入日数は有畜農家が二一日、無畜農家が一九日である。

②  採草立入日一日につき一戸当りの野草搬出量は有畜農家が一三〇貫(487.5キログラム)、無畜農家が四八貫(一八〇キログラム)である。

③  忍草入会組合員のうち、有畜農家は二〇二戸、無畜農家は八〇戸である。

④  そうすると、有畜農家の採草量は130×21×202=551,460貫(2067,975キログラム)、無畜農家の採草量は48×19×80=72,960貫(273,600キログラム)である。

⑤  したがつて、昭和三五年度の年間採草量は551,460+72,960=624,420貫

(2341,575キログラム)である。

3  飼料用野草の損失量について

①  可食日は三日間である。

②  採草立入日が、七月においては、一〇日、一一日、一六日、一七日、二一日、二二日、二三日、二四日、三〇日、三一日の各日、八月においては、一日、六日、二一日、二七日、二八日の各日、九月においては、二日、三日、四日、六日、一七日、二五日の各日であることおよび可食日の趣旨、計算方法が原告主張のとおりであることは当事間に争いがないから、可食日数は計四二日間である。

③  そうすると、馬について賄いえた飼料用野草量は貫(238611.25キログラム)であり、牛について賄いえた飼料用野草量は貫

(26028.75キログラム)である。

④  したがつて飼料用野草の損失量は610,971−(63,363+6,941)=540,667貫

(2027,501.25キログラム)である。

4  堆肥用野草の損失量について

①  無畜農家の堆肥用野草の昭和三五年度の採草量は前記2④のとおり七二、九六〇貫(二七三、六〇〇キログラム)である。

②  有畜農家の堆肥用野草の同年度の採草量は551,460−(63,363+6,941)=481,158貫(1,804,335キログラム)である。

③  したがつて、昭和三五年度の堆肥用野草の採草量は72,960+481,156=554,116貫(2,077,935キログラム)である。

④  昭和三五年度堆肥用野草損失量は2,298,829−554,116=1,739,713貫

(6,523,923.75キログラム)である。

5  以上のとおり、昭和三五年度の野草損失量の合計は、3と4を合算して540,667+1,739,713=2,280,380貫

(8,551,425キログラム)である。

6  野草損失量の稲わら数量への換算について

①  飼料用野草の損失量は前記のとおり五四〇、六六七貫(2,027,501.25キログラム)であり、この稲わらへの換算方式はであるから540,667×0.453086=244,969貫

(928,633.75キログラム)が稲わら数量である。

②  堆肥用野草の損失量は前記のとおり一、七三九、七一三貫(6,523,923.75キログラム)であり、この稲わら換算方式は0.4/1.5であるから、貫

(1,739,276.25キログラム)が稲わら数量である。

③  したがつて、稲わらの合計購入量は244,969+463,807=708,776貫

(2,657,910キログラム)である。

7  按分比について

関係五つの入会組合の稲わら購入総量が三、六三二、五〇九キログラム(九六八、六六九貫)であることについては当事者間に争いがなく、天野茂美ほか忍草入会組合員らの購入量は右のとおり七〇八、七七六貫(二、六五七、九一〇キログラム)であるから、按分比は七三パーセントとなる。

8  各地区別購入稲わら量について

①  谷村地区から関係五つの入会組合が購入する稲わら量は二三〇、八四八貫(875,650キログラム)であるから、忍草入会組合員らが同地区から購入する稲わら量は230,848×0.73=168,519貫

(632,946.25キログラム)である。

②  したがつて、田方地区から右組合員らが購入する稲わら量は、708,776−168,519=540,257貫(2,025,963.75キログラム)である。

9  運賃について

①  鑑定証人森田国彦の尋問の結果によれば、稲わらを貨車で輸送する場合には、雨濡れと火気のおそれがあるから、通常、有蓋貨車を使用することとなつていること、有蓋貨車すなわちワム一五トン車の一車当りの稲わら積載量は、日通が行なう通常の作業方法により行ない、かつ、田方地区産、含水率13.61%の田方地区の農家が通常行なつている程度に結束した長さ一一〇センチメートルから一二〇センチメートル、束の円周一四〇センチメートルから一七〇センチメートル、一束の重量13.3キログラムの稲わら束を使用した作業の結果では、2,454.3キログラム(638.118貫)であることがそれぞれ認められ、また<証拠>によれば、被告が昭和四一年四月二六日土浦市内において行なつた実験では、ワム一五トン車の積載量は、土浦市内の農家から集めた含水率10.24パーセントの稲わらを日通水戸支店において結束しなおし、六人の作業員が一時間一五分を費して行なつたところでは3,346.95キログラム(八九二貫五二)であつたことが認められ、さらに<証拠>によれば、日通代行店富岳通運株式会社吉田支店においては一〇万貫(三七五、〇〇〇キログラム)の稲わらを輸送するに必要なワム一五トン車二〇〇車である旨を見積り、日通三島支店は一〇万貫(三七五、〇〇〇キログラム)の稲わらを輸送するに必要なワム一五トン車二〇〇車である旨見積つたことが認められ、さらにまた、<証拠>によれば、忍草入会組合の側では、昭和四一年二月一四日日通三島支店において実験を行なつたところワム一五トン車一車には、少なくとも一束当り平均3.76貫(14.10キログラム)の稲わら東一五〇束が積載されたことがそれぞれ認められ、他に右各認定を左右すべき証拠はない。

ただし、右認定の事実のうち、土浦市内において行なわれた実験については、<証拠>によれば、実験に使用された稲わらはその産地および含水率の点において本件合意にかかる事項および数値と大きくかけはなれているのみならず、右の実験は文字どおり全くの実験であつて、その作業方法は実際の作業におけるものとはかなり異なつていることが認められ、また、<証拠>によれば、富岳通運株式会社吉田支店および日通三島支店の見積りはいずれも、きわめて大ざつぱなもので、ずさんなものであることが認められ、さらに、日通三島支店での実験については、<証拠>によれば、右の実験に使用された稲わらは含水率13.5パーセントのものよりややしめつた状態のものであり、しかも若干余裕のある積み方をしたものであることが窺われるほか、作業の方法等も不明であることが認められ、他に以上各認定を左右すべき証拠はなく、また、ワム一五トン車には三、一五〇キログラム(八四〇貫)を積載することができる旨の被告主張の点については、前記土浦市内における実験のほかには、これを首肯すべき資料もない。

以上の事実を綜合して考えると結局、ワム一五トン車一車に対する含水率13.5パーセントの稲わらの適正合理的な積載量は、一車当り2,454.3キログラムであると認めるのが相当である。

②  ところで、谷村地区から購入する稲わらについて、貨車運賃が一車当り二、〇〇〇円であること、谷村駅の取扱料がトン当り三六円であること、積込料がトン当り七七円であること、富士吉田駅の取扱料がトン当り三〇円であること、取卸料がトン当り六八円であること、配達料がトン当り三〇三円であること、ならびにそれらがいずれも適正合理的な料金であることは当事者間に争いがなく、<証拠>と弁論の全趣旨によれば、谷村地区から購入する稲わらについての本件合意にかかる運賃とは、右貨車運賃、谷村駅取扱料、積込料、富士吉田駅取扱料、取卸料、配達料をあわせたものであることが認められ、他に右認定を左右すべき証拠はなく、また、田方地区から購入する稲わらについて貨車運賃が一車当り二、六四〇円であること、函南駅の取扱料がトン当り三六円であること、積込料がトン当り七七円であること、集貨料がトン当り二一三円であること、御殿場駅の取扱料がトン当り三〇円であること、取卸料がトン当り六八円であること、配達料がトン当り五八五円であることならびにそれらがいずれも適正合理的な料金であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、田方地区から購入する稲わらについての本件合意にかかる運賃とは、右貨車運賃、函南駅取扱料、積込料、集貨料、御殿場駅取扱料、配達料をあわせたものであることが認められ、他に右認定を左右すべき証拠はない。

③  そうするとワム一五トン車一車当りの稲わら積載量は前示のとおり2,454.3キログラムすなわち六五四貫四八であるから、前示の谷村地区から購入する稲わら一六八、五一九貫(631946.25キログラム)の運送のための所要貨車数は257.4すなわち二五八車であり、この貨車運賃は、2000×258=516,000(円)である。そして、<証拠>によれば、ワム一五トンでわらを運送する場合の運賃計算トン数は、貨車の標記トン数から三トンを減じた一二トンであるから、二五八車の運賃計算トン数は12×258=3,096トンである。それゆえ、谷村駅取扱料は3,096×36=111,456円、積込料は3,096×77=238,392円、富士吉田駅取扱料は3,096×30=92,880円、取卸料は 3,096×68=210,528円、配達料は3,096×303=938,088円 であるから、運賃合計は 516,000+111,456+238,392+92,880+210,528+938,088=2,107,344円 である。そしてまた、谷村地区の稲わらの一貫(3.75キログラム)当りの価格は一五円七五銭であるから、谷村地区より購入する稲わら価格は168,519×15.75=2,654,174円25銭であり、これに運賃を加えると、

2,107,345+2,654,174=4,761,518円25銭となる。

④  つぎに、右のとおり、ワム一五トン車当りの稲わら積載量は2,454.3キログラムすなわち六四五貫四八であるから、前示の田方地区から購入する稲わら五四〇、二五七貫(2,025,963.75キログラム)の運送のための所要貨車数は825.4すなわち、八二六車であり、この貨車運賃は、2,640×826=2,180,640円である。そして、運賃計算トン数は12×826=9912トン である。したがつて、函南駅取扱料は9912×36=356,832円、積込料は9912×77=763,224円、集貨料は9912×213=2,111,256円、御殿場駅取扱料は9912×30=297,360円取卸料は9912×68=674,016円、配達料は9912×585=5,798,520円 であるから、運賃合計は、2,180,640+356,832+763,224+2,111,256+297,360+674,016+5,798,520=12,181,848円 である。

そして田方地区の稲わらの価格は一貫(3.75キログラム)当り二一円であるから、五四〇、二五七貫の価額は、540,257×21=11,345,397円 である。

これに運賃を加えると 12,181,848+11,345,397=23,527,245円 となる。

⑤  したがつて、以上谷村地区の分と田方地区の分との合計は4,761,518円25銭+23,527,245円=28,288,763円25銭 である。

10  不要化経費について

不要化経費は一貫(3.75キログラム)当り、0.0776×375=0.2910円であるから、野草損失総量についてのそれは、2,280,380×0.2910=663,590円58銭である。

以上のとおりであるから、結局、右の不要化経費を、前記二八、二八八、七六三円二五銭から控除した額28,288,763円25銭−663,590円58銭=27,625,172円67銭の80/100に当たる二二、一〇〇、一三八円一三銭が忍草入会組合の昭和三五年度分野草損失補償金額というべきである。

五そうすると、原告が忍草入会組合の組合員らの選定当事者であることは本件記録上明らかであるから、被告は、原告に対し忍草入会組合に対する昭和三五年度野草損失補償金二二、一〇〇、一三八円一三銭のうちすでに支払いずみであることが当事者間に争いのない一四、六六〇、五二六円を差し引いた残金七、四三九、六一二円一三銭およびこれに対する右補償先の支払期日の翌日である昭和三八年二月一日以降右支払いずみにいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるといわなければならない。

よつて原告の本訴請求は右の限度において理由があるからこれを正当として認容すべく、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訟訴費用の負担につき民事訴訟法九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、なお、仮執行免脱の宣言はこれをしないのが相当であるからその申立てを却下することとして、主文のとおり判決する。(杉本良吉仙田富士夫 村上敬一)

<当事者選定書><省略>

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